本編Blu-rayBoxも一通り出たという事で
電王本編(映画はさらば~まで含む)を語ってみよう
改めて見ると第1話~2話の完成度が物凄い
ギャグに笑って、映像と設定に驚いて、シナリオで感動出来るっていうエンタメの塊だった
序盤は憑依良太郎をイマジンボイスのみか健ボイスでいくかオーバーラップさせるかいろいろ試行錯誤してたみたいだけどイマジンズが憑依したまま体の良太郎と話す事もあったからイマジンボイスのみにして正解だったと思う
第1話で良太郎をカツアゲした奴が
カツアゲした事についてのなんの罰も
受けないのがちょっと納得いかなかった。
(イマジンにとり憑かれて過去が分かった分余計に)
イマジンに取り憑かれて酷い目にあった事自体が応報って見方してた
モモにシメられたのは仲間だけだったか
完全に評判が固まってから見始めたのだが
特に序盤は陽性の雰囲気というよりむしろ暗くもったりとした印象を受けた
なんでだろう
画面のトーンのせいかな
イマジンコントで誤魔化されがちだけど割と暗くて重い話が多いよね
タイム、龍騎でカマしてきた小林靖子は健在だなと思った
そういった要素を、コミカルというオブラートで包んで飲み込みやすくしたのは、
平成ライダーとしては英断だったね
強化フォームお披露目回に割と敵をソードフォームでボコボコにしてて無くても勝てたんじゃね?ってなった思い出
コメディタッチのキャラクターで忘れがちだが、イマジン連中は普通以上に強いからな。
当時、かなり強いって少し話題になったのを覚えてる。
終盤でリュウタがやりこめられもしたけど。
個人的にNEW電王の変身ベルト待機音
好き
クライマックスもライナーも強い敵に対抗してってわけでも、自分が強くなったからってわけでもなく
ただ状況に合わせて必然的にそうなったんだよな。
逆に映画では、強敵に対して通常フォームで勝ってるしな
クライマックスは消え去った仲間達の帰還の為(厳密には違うかも)
ライナーは過去でイマジンの力が使えなくなる現象への対策
ゼロは変身チケットを消費し尽くした結果、等々
電王は徹底して「強い敵に勝つ為の強化イベント」がなかったね
全ての強化タイミングに喪失が絡んでるって感じは有る
強化フォームではなく並列フォームだけど
「ソードフォームだとカナヅチだから溺れる!」→「ボクが泳げるのは嘘じゃない(ロッドフォーム初登場)」とか
「ライノイマジンがアホほど固い」→「俺の強さにお前が泣いた(アックスフォーム初登場)」
辺りは状況に合わせての強化と取れなくもない(そのためにウラキンを取り込んだわけではないが)
久々の並列フォームチェンジ持ちだから相手やシチュエーションを合わせることを意識はしてるよね
ちょうど今さら電観てるんだけど、意識して見ると佐藤健の合成分かりやすいね。
いつか合成でなく二人の変身また見たいな
大森Pが平ジェネFINALであのキャスト呼べたのはレジェンドPの
力を借りたって言ってたから、多分東映の偉い人も
平成ライダーラストイヤーの来年くらいは普通なら出来ない
豪華キャストも話つけてくれるかな
NEXTのライダーがゲスト参戦するなら、どんな形で参戦してたんだろ?
モモが共に闘う理由が当初は「こっちのほうが面白いから」でしたよね
ウサギのイマジン多かった気がするんだけど
中盤にもピアノマンの話とか結構重かったり悲しかったりもあったよね。
よく「平成ライダーのコメディ要素はカブトから」って見るけど
あれは龍騎や剣の夏ギャグ回の拡大版みたいなもので
悪ノリともいうから、掛け合いの妙で笑わせてた電王とは異質だと思う
電王のイマジンのさつ人描写はあっというまに済ませてるから
気付かないが、よく考えればFIST/NEXTなみにえげつない
カブトでは「俺様」「熱血漢」「エリート」「坊ちゃま」みたいな記号を押し出す見せ方が強かったし
天道語録や天を指す決めポーズを多用した様式美の構築なんかも行っていた
画面の演出効果なんかも含めてカブトはそれまでの平成ライダーより一段階強く芝居がかっていて、電王はある程度それを継承したって印象はある
地味だけど、「時の間のピアニスト」が好き
電王の物語の深さと暗さが圧縮されてる気がする
カブトの頃はまだ黎明期というか試行錯誤段階というか、ギャグとシリアスのバランスが無茶苦茶で
ちゃんと成立していったのは電王からだと思う
カブト→電王→キバ
の流れと
ゴースト→エグゼイド→ビルド
の流れって、ちょっと通じるものがあるな
キバとビルドは急にギミックが1作(クウガ、W)っぽくはなったな
並列フォーム復活は電王からじゃね
というか色と属性が(赤・肉弾戦系、青・スピード系、緑・感覚特化系、紫・パワー系)
後フォームチェンジしても眼の色が変わるだけなのは武部が
「初期のシンプルさを意識した」って言ってるし
なるほどー
(次作でタイタンソードにされるドッガハンマー)
ピアニストで良太郎もだけどウラタロスが静かにキレてたな。
良太郎の声をやや震わせながら怒る感じが「あっこいつ怒らせたらやべえ」感があって好きだったなぁ
良太郎はヤクザになったら怖いタイプ、と脚本家が言ってたが、どういう意味で怖いんだろうか?
自分の組が壊滅してでも相手を叩き潰す、という思考の恐ろしさ?
自分の弱さや運の悪さを自覚してるのに
その上で絶対勝てるわけがない相手に損得抜きでつっかかる狂犬ぶりは
打算的な思考してる人間にとってはわけわからなくて恐怖だろうな
「なんだかよくわかんないけど、やらなきゃならないことだけはわかった気がする」
「やらなきゃいけないと思ったらやるよ(中略)できることがあったらやるだけなんだ。弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらないことの言い訳にならない」
これを何のためらいもなくいうどころか、実際に行動しちゃうんだもんね
ここまでくると損得どころか、何かある種の強迫観念じゃないかとさえ思えてくるわ
「勇気」と何が違うの?
そういうのは「無謀」というのじゃよ
論理破綻した勇気なんぞ無謀と何も変わらんぞ
成功の打算があってこその勇気だからな
自身は戦う力をほぼ持ってないのに怪人達に啖呵を切る様って
描き方一歩間違えると『口だけで他人頼りのクズ』になってしまうけど
うまいことやってるなーと思った(そういう意見もなかったワケじゃないが)
良太郎の場合は自分の体を貸してるからね
やられたら怪我するのは自分だし
体力も必要だから自主的にトレーニングだってする
完全に他人頼りってわけじゃないのがポイントかな
EP BLUEの良太郎の違和感はそこなんだよなぁ
「凄く煩いことになるよ?じゃあ行くからね?」
M良太郎で煽らせれば良いのに良太郎の人格で煽ってあとはモモタロス任せだから凄く小物臭く感じる
体が丈夫で不運じゃなければヤクザの親分になってたって話だな、
その辺は白倉の言ってる孫悟空達をまとめる三蔵法師ってのと同じで
ヤバい連中をまとめる技量があるけどヒーロー向きの性格じゃないって話なんだろうけど
ヒーローっぽさは侑斗の方が上で逆にあっちはチンピラにしかなれないっていう
「現代日本に呼ばれた三蔵が、ヤクザの親分になってた」という小説書いてほしい
そう考えると下心ありきとは言え濃い常連二人の居る姉と言い人に好かれる血だなぁ
実際、モモウラキンリュウまとめてるんだし、やくざの親分とやってることは同じだもんね
西遊記の三蔵的な存在になったね
本編に不可欠ではあるんだけど悟空たちが目立って地味なポジションという部分も
溝口琢矢の子良太郎は、悪くないけど大人っぽい貫禄と頼もしさがあってかなり違和感あったな。
佐藤健の良太郎はなよなよと頼りなさげだけど真の強い感じが好きだったから尚更ね。
ヒーロー番組における文法と照らし合わせても「勇気」は「一歩踏み出して自分の限界を超えること」を指す傾向が強いので良太郎の行動を表すにはズレがある
肝がすわってるとか度胸があるとかならまあ……
「ごめんなさいは?」の下りでも良太郎の意志の強さというか譲らなさが伺えるよね
それこそ終盤のカイ達が負ければモモ達も消えるって聞いた時の
自分の消滅の手伝いさせるくらいならもう力借りないみたいな面倒くささとかな
戦ったらモモタロスが消えるって聞かされた時も戦い辞めるかどうかって迷いじゃなくて自分は戦い続ける事前提としてモモタロス達を付き合わせるかそうしないべきかの迷いなんだよな
「勝てる喧嘩」と「負けると分かってる喧嘩」の間に、
「やってみなけりゃ分からない喧嘩」はあると思う。
勝てるか勝てないか、良太郎の場合そもそもそういう前提じゃないのが…「喧嘩するしかないなら喧嘩するよ?」だからねえ、そりゃ相手からすれば怖いというか得体が知れない、てなもんで
そういう意味じゃ歪んでるんだけど、別な意味で歪んでた(やはり小林脚本だった)火野映司なんかは歪んでしまった理由が語られてたのに対して、良太郎は「どうしてそういう性格なのか」が明らかにされないままだったし
性格形成に関しては元来の不幸体質に桜井さんの「弱かったり運が悪かったり何も知らなかったとしてもやらない事の言い訳にはならない」ってのに影響された結果じゃないのか?
小太郎→良太郎の間に何かあったのかな
桜井さんが失踪する前から「今の良太郎」っぽくはあったが